第16話 金型

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「ガソリンスタンドはバイト代がよくってな。あと、洗車もオイル交換もできるし」

「ほんとにクルマが好きなのね」

「っつーか、道具だよ。道具」

「高級車には乗らないの?」

「アッコちゃん、そういうのに興味あんのかい?」

明希子は首を振った。

「そうじゃなくて、南雲さんの立場なら、どんなクルマにでも乗れるはずなのに、って思って」

「ふん」

南雲が鼻先で笑った。

「じつは、いちど手に入れたんだよな、ジャガーXKを。黒いヤツ。サウスドラゴンが軌道に乗って、真っ先に買ったんだ。いいクルマだったな、いや、ほんと」

そこでこんどは意味深な笑みを浮かべた。

「新車がきて2週間目、雨上がりの道を走ってた。夜の11時過ぎだったよ、仕事のストレスもあって飛ばしてた。坂道を上りきり、下りに差しかかったところで、ジャガーの尻が振れた。そのまま大きくスピンして、両サイドが往復ビンタのようにガードレールにぶつかった。がつんがつんがつんがつんと4度もな。まったくひでえありさまだったぜ。ジャガーは廃車だよ。それでも、おれはケガひとつ負わなかった」

明希子はぞっとした。

「思ったよ、どうやらおれには、まだやらなくちゃならないことがありそうだって」

南雲が遥かな表情をした。

「以来、ずっとこのクルマだ。おれに合ってる」

明希子は、彼のちがう一面を垣間見たような気がした。別の面もなにも、もともと南雲のことをよく知らないのだけれど。

「どっかでメシ食ってくか」

南雲が銀座の立体駐車場にクルマをとめた。

「こいつはうちの若いもんにあとでとりにこさせる」

そんな言い方がカタギでないみたいでおかしかった。いや、ほんとにカタギではないのかもしれない。

「一杯やろう。イケる口なんだろ、アッコちゃん」

「そうね。行きましょっか」

明希子は言った。

南雲に案内されたのは有楽町裏のもつ鍋屋だった。

生ビールを飲み、南雲が頼んだ辛子味噌で和えた肉片を食べる。

「ガツっていうんだ。豚肉の胃袋だよ。うまいだろ」

こりこりとした歯ごたえでビールに合う。どこの部位かまでは知りたくないけれど。

馬刺しがきた。おろしたニンニクと醤油で食べる。

「その白いサシが太く入ってるところが、フタエゴ。あばらのうまいところだ」

こちらもこりこりとした歯ざわりで、噛んでいると甘みと旨味が滲み出してくる。

南雲が2杯目の生ビールのジョッキを口に運びながら言った。

「惚れてたのかい?」

「え?」

「あの男にさ」

明希子はぐつぐついうもつ鍋の湯気に包まれながら、一瞬、店のなかの喧騒が遠くなったような気がした。

しばらくして、

「考えてからこたえるようじゃ、惚れてはいないわね」

と言った。

「焼酎にするか?」

明希子がうなずくと、南雲が薩摩焼酎をオンザロックでふたつ頼んだ。

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