マニラ空港の税関を抜けると、三日まえから現地入りしているという伊澄が待っていた。麻の開襟シャツを涼しげに着ている。
「ようこそ、フィリピン共和国へ」
「お世話になります」
春まだ浅い3月の東京から飛行時間4時間半ほどで気温35度の熱帯モンスーン型気候の地に立っていた。広告代理店時代の出張やプライベートの旅行で海外には何度か赴いていたが、フィリピンははじめてだった。
「向こうにクルマ停めてあるんや」
晴れ渡った空のもと伊澄について行くと、白い日本製のセダンから現地男性のドライバーが降りて、明希子が引いていたホイルつきのスーツケースをトランクに積んだ。
「サンキュー」
成田空港まで着ていたコートはすでにその鞄のなかで、いまは白いパンツスーツ姿だった。
「ここではタガログ語と英語や。あんた、英語は?」
「日常会話程度でしたら」
「けっこう。海外進出にあたって必要なのはやっぱり語学や。英語は必須やで」
「海外進出なんて……うちは、まだまだ」
後部座席に伊澄が乗り、明希子も隣に乗り込んだ。
「ある会社がな、10年以上まえに海外展開を真剣に検討しとった。その当時は社長自ら、ほとんどすべてのアジア諸国に足を運び、数年間に渡って現地のビジネス環境を調査したという。その間、役員をシンガポールに駐在させたこともあった。そやけど、そうした膨大な情報収集の結果、その社長が出した結論は“日本にとどまる”やった。調査を進めるうちに、現地企業の熱気と投資意欲に圧倒され、それらの企業と量産で勝負しても、長期的には勝ち目がないと判断したんやな。で、国内での生き残りにシフトし、まさに背水の陣で“他社がやらないことをやる”という差別化に奮迅した」
明希子は黙って聞いていた。
「その会社は、国際感覚を磨いて情報収集した結果、海外進出をしないことを決心したんであり、ある意味、うちとは反対の結論に達した。だが、私はそうした考えがあってもいいと思っとる。集めた情報や、それぞれの企業の環境には差異があるから、結論として出てきた経営戦略も多様であっていいわけや」
伊澄がこちらに顔を向けた。
「重要なのはなアッコさん、自ら情報を集め、それらを自分なりに整理して、自分で判断するいう姿勢なんや。これを忘れたらあかんで」
明希子はうなずいた。
伊澄も小さくうなずき返すと、
「工場見学は明日にして、きょうはホテルでゆっくりするといい」
「ありがとうございます」
「明日の朝、迎えのクルマを差し向ける」
「なにもかもすみません」
「その迎えのクルマに乗ってるんが、フィリピン支社の実質的社長や」
美しく整備された広い道は空港周辺だけで、しばらく走って雑然とした市街地に入るとたちまち渋滞に捲き込まれた。
「さきほどからよく見かけますが、あのクルマはなんでしょう?」
ジープのような小型バスのような乗り物だった。
「ああ、ジプニーいうんや。日本で20万キロも走ったような中古のディーゼルエンジンを入手し、ああして鉄板でボディをつくった乗り合いバスや。ポンコツながら、どのクルマも、それぞれ個性を出そうと飾り立ててるのがいいやろ」
なるほどフロントグリルに鷲の紋様があったり、サイドミラーが髑髏(どくろ)になっていたりした。ボディは塗装されていない銀色のままのものがほとんどだが、そこにはなにかしら派手な絵や文字が描かれている。
「連中は、1台70万円程度であれをつくるんよ。そうかと思えば、中古の右ハンドルの大型バスやダンプを、たった1日で左ハンドルに変えよる。器用なんやな。うちの工場でもそうや、日本製の汎用工作機やプレス機械なんかが湿気と高温、電圧のばらつきでよく壊れるんやが、そんなのも社員が上手に直してしまう。新製品なら生み出せる日本人が、こうした中古品を直す技術については年々低下してるゆうのにな。モノづくりの資質を持ってる思うよ、この国民は」
停まったり、渋滞を抜けたりを繰り返しつつ走っていくと、高い塀が張り巡らされた一画に出た。
「見てみい、銃を携帯したガードマンが警護しとる。ヴィレッジいうんよ、あの塀のなかを。この向こうにはケタちがいの金持ちらが住んどる。そうして、その一握りの金持ちが国の政治を動かしとるんや。自分たちの懐がひたすら潤うように、な」
渋滞のクルマを縫うようにして、大人や子どもが籠に摘んだペットボトルの水やなにかよくわからない乾物のようなものを売り歩いている。
「マクドナルド行って、コーヒー飲んでハンバーガー食べたら70ペソ(140円)。しかし、彼らにしてみれば手の届かないようなご馳走や。アッコさん、そういう国なんやここは」
SPECIAL THANKS
株式会社伊藤製作所・伊藤澄夫社長
参考文献
『モノづくりこそニッポンの砦 中小企業の体験的アジア戦略』伊藤澄夫著/工業調査会刊
※ この作品はフィクションであり、登場する人物、機関、団体等は、実在のものとは関係ありません